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yuki

午後に電車で移動している途中で車両の内部がすっと冷たくなり、大きな車窓から見える田園風景に雪が舞い始めた。いくつかの主要な駅を通過するたびに乗客が減り、ときどき増えたりもしたけれど、冷たい雨が降り始めた30分ほど前に発車した駅から先は、車両には僕とほんの数名がそれぞれ間隔を置いて席についていて、おとなしく外を見たり、目を閉じたり、本を読んだりしていて、ひとつの空間が、ひとにぎりの理性やぼんやりとした社会性によって区切られたそれぞれのセルの中で、豊かな孤独とともにあるのだった。現代的なつくりの車両で、ソフトペダルを踏んだようなくぐもった響きがレイルを走行する車輪から伝わってくる。そしていつしかそれも気にならなくなる。僕は窓の外の風景がすこしずつ変わるのを、飽きずに見続けていた。僕もまた俗世の孤独とともにあり、誰かがそれを責めることもなく、2本ほどの缶ビールが手伝って安っぽい追憶の果てに、悲しくなったり、陽気になったり、そして結局、どうにもならない気持ちが目の見る先、寒々とした大地の風景にまぎれていった。そして、そう、外を雪が降り始めると、僕はそれを無心で眺めていた。

数週間前に横浜にある病院から見た風景にも雨が降りかかっていた。見舞い客の待合室でほんの半時ほどその様子を眺めてから、なじみのない名前の駅から電車に乗って、部屋にもどった。夕方が暗く、途中で立ち寄ったコーヒーショップでも眺めた。夜の中で滞在先のホテルに戻り、その部屋の窓からも夜の中を降りしきる雨を眺めた。ときどきポケットウイスキーの壜を傾けてそのまま飲んだ。難解な雨で、とうてい理解は覚束ず、輪郭もみえなかった。冷たく朴訥な表情とその先にどこまでも続いているような心の闇だ。僕はもう窓辺にいない感じがしていた。闇夜の雨の中にすいこまれて、目だけがそこに浮かんでいるようだった。

ちなみに僕はそれからその病院に月に2回程度の頻度で通い始めた。しばらくするとすっかりその場所が自分になじみ、雨が降ったときなんかは待合室で長時間ひとりで過ごした。それはなかなか快適な体験だった。どうということのない風景かも知れなかったが、なぜかそれは見ていて飽きなかった。

時間では夕方だったが、もう外は暗くなり始めていた。到着した駅は混雑のピークが終わったあとで、がらんとしていた。みやげ物屋やうらぶれた感じの食堂、観光案内所、コンビニエンスストアが立ち並ぶ構内は冷たく、タクシーのりばの表示を寿命の近い蛍光灯が暗く照らしていた。構内からはのりばのあるロータリーは青白く浮かび上がってみえる。僕の泊まる宿は駅から歩いて行ける距離のはずだった。

この風景がこの町の雪の季節の常の様子なのだろうか。コーヒーショップに入って、コーヒーを注文した。コーヒーはペーパーカップに入っていた。ちょうど旅館送迎バスの発着場所が目に入るように全体が位置している店内の窓際に席を取る。雪が降り続いていて、タクシーやバスの放つテールランプの赤が鮮やかにみえる。それは火を連想させ、それが暖かな部屋の中の光景、家族の親しさ、絆のようなものとつながっているようなイメージへ連続していった。知らない町のオフピークにひとりで雪の夜を待っていると、火に飢えてゆくのだ。そして記憶が冷たく凍り付いてゆき、意識はクールになってゆく。

夜は黒く、雪はまばゆい程に白かった。僕はコーヒーショップを出る。宿を見つけ、フロントでチェックインする。部屋に入り、しんとした空間をなじませる。湯を使い、髭をそり、短い髪を洗い、シャツを替え、窓に映った自分をみる。もう後には戻れない年嵩が見て取れる。いいわけのような背格好と人好きのしない疲れた表情でこちらを眺めているのが僕だった。それでも、まだ濡れているコートをふたたび着て、湿った靴に足を入れる。そして1Fに降りて、フロントに鍵をあずけ、雪の中に出てゆく。今度は駅前のビルにはいったテナントのコーヒーショップに入る。ミルクの入ったコーヒーを注文して、窓辺に席を取る。もう一度、しっかり降り続ける雪を見る。

その日の夜、僕は夢を見た。温度もなく季節もなく僕は東京のあちこちに現れて、ゆるやかな時間を過ごしていた。そばに誰かがいたような気もするが、誰かがわからなかった。場所もどこかとどこかが組み合わさったような奇妙な場所で、季節も四季を数分で駆け抜けているような感じだった。僕という物質は拡散して、やわらかい粒子の流れの中で移動しているような感覚を持った。どこをどう移動したかは覚えていないけれど、僕は自分が小さな粒子になって飛んだというこの夢を何度も思い出すことになった。それがそのとき僕が雪の様子を、飽きないで眺めていたことの代償なのか、恩恵なのか、わからないが、この夢は忘れたころに思い出しては、もう一度、きちんと意識のあるときになぞって反芻するのだった。

そう、この話はこんな話だ。僕は雪の町に着いて、駅の中のコーヒーショップでコーヒーを飲み、駅前のホテルの部屋にたどり着き、それから駅前のコーヒーショップでコーヒーを飲んだ。ホテルの部屋に戻り、深夜までウイスキーを飲み、そのまま疲れて眠ってしまった。粒子になって移動する夢を見た。そして次の日は昼まで部屋で眠り、午後にもういちど昨日と同じように雪の振る中を駅の中と駅前のコーヒーショップにでかけていって長い時間をかけてコーヒーを飲んだ。次の日の午前中にも同じ行程を踏んで、午後の電車で東京に帰った。僕はその年の真冬にそんなことをしていたのだ。

あの雪の日から10年が経った。そして今日そのときのことを思い出してこれを書いている。その冬が終わってすぐの春に病院の封筒で彼女の死の知らせが届いた。死に際の様子がかんたんに記されていた。そのとき雪の中にいた午後をとっさに思い出した。そのときには何も書かなかった。それから何度も春がきて夏がきて秋がきて冬がきて、そうして今日になった。今年の東京はまだ雪になっていない。ニュースでは日本海側では例年より早く、多くの雪が降っていると言っている。電車は止まり、飛行機は欠航し、高速道路はときおり閉鎖していた。いくつかのニュースではその場で立ち往生を余儀なくされた旅行者たちが感想を求められてそれに応えていた。

次の日、荷物をかんたんにまとめると僕は部屋を出て、東京駅に向かった。電車に乗って、10年ぶりにあの町に向かった。あのコーヒーショップを探した。駅は改装されていて、当時の雰囲気は残っていなかった。そして駅構内のコーヒーショップはなかった。僕は駅前のコーヒーショップを探した。こちらはまだ残っていた。僕は当時と同じように店に入り、コーヒーを注文して、窓際に席を取った。あの日と同じように雪が積もったターミナルがあり、雪も降り始めていた。それでも僕はあのときのように飽きるまで眺めているわけにはいかなかった。時間は足かせのようにして記憶につながれていた。それは恐怖と小暗い内部をつないでいた。僕はコーヒーを残して、席を立つと、雪の舞う外に出て駅へ向かった。東京行きの切符を買い、改札へと急いだ。

2005.1.4


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