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birthdary(1)
Happy birthday to sabi

こんぐらがった世界。振動しながら、物質から物質へと伝播してゆくノイズ。ノードごとに拡散し、ターミナルごとに収斂する。波形は多重化し、交差する。いくつかの粒子は、花火がスパークするように垂直に立ち上る。エネルギーの何割かが光と熱に変換される。飛び交う光の痕が、彗星のように見える。無数の彗星は遠くに見えたり、近く見えたりしている。青いグラデーションと単調な灰色の世界を背景に、憂鬱な花火が続く。それもいつしか遠ざかってゆく。自分が遠ざかっているのか、世界が遠のいているのか、わからない。気がつくと辺りは暗く、闇となった周囲では、彗星の残像が電気を帯びているように、ジジジと不穏な音を立てている。混じり合う音の粒子、旋律の破片、打ち寄せる大小の波、鼓膜がそれらの音を拾い集めている。内部で反響し合う言葉。いくつもの無駄な繰り返し。何であるのかはわからない一連の音のシーケンス。鼓膜の向こう側はひどく静かだ。ユニットとユニットの間には神経系が張り巡らされ、一部は埋没し、一部は途切れている。ユニット内部は、紐状の高分子化合物がぐちゃぐちゃに絡まり合っている。小暗く、濃密で、息苦しい世界。記憶の映像がランダムに浮かび上がる。それは視神経を通じて、君の額に投影されているようだ。君は目で見るものと、頭の中で見るものとを、重ね合わせている。遠ざかる砂嵐、蜃気楼、何年も前の空、くすんだ色の空、今にも途絶えてしまいそうな水色の晴れ間、わき上がるもくもくとした雲、叢雲、鱗雲。遠くに見えるのは湾岸の工場地帯、配管が犇めいているプラント、煙突、風力発電の巨大なブレード、緩やかに湾曲して伸びるすいた高速道路。後方、バックミラー越しにはるか遠くを走る車が見える。ずいぶん離れているように見えるが、次にバックミラーを見たときには、もう、すぐ後ろにいる。車高がとても低い、つややかな塗装を施された流線型のスポーツカーだ。凄まじいスピードで君の運転する中古の大衆車を追い越してゆく。夏の午後。ミュージックプレーヤー、誰かが置いていった自己編集のCD、中身はジャズ曲ばかり、複数の曲がシャッフル演奏されている。いま流れている曲は、どこかで聴いたことがある気がする。短いパッセージが執拗に繰り返される。しかしタイトルも演奏者も思い出せない。ほとんど聞き取れないブラシの音、コントラバス、気怠いアルトサックスのソロ。そして歌声。英語の歌詞、意味は不明。

それからも遠くから現れる後続車に、次々と追い越されてゆく。君の車も小型ながら軽快な駆動音と共に、一陣の風のごとく疾走している。それにもかかわらず、背後から音もなく現れた現代車に、並ばれたかと思う間もなくかわされ、一瞬で置き去りにされる。単調な音程を維持しているエンジン音、車体が風を切る音に紛れるようにして、スピーカーから物憂げなボーカルが途切れ途切れに聞こえてくる。現実の風景がまどろむようにぼやけてゆく。遠くが近くなり、近くがひどく遠くなる。君は半分だけ覚醒した意識の中にいる。高速道路を運転しているときにだけドライバーが陥るシンドロームだ。オーバーレイする記憶の映像。ゆるやかなズームイン。重なり合った記憶のフェードアウト。意味のない繋がり。展開。カットからカット。無音の台詞。風の吹く光景。季節も昼夜もごちゃまぜになっていて、地理的な不整合があり、追憶している主体がそこにいないような映像だ。嘘のような光景なのに、記憶と現実との境界は不鮮明だ。どこからが本当で、どこからが作りものなのか、どうしても見極められない。

現実の君は車を運転している。遠くの風景は少しずつしか動かない。それでも、もう工場地帯はとうに見えなくなり、今は切り開かれた山の中の道。うねうねとカーブが連続している。助手席に置いた携帯電話が鳴っている気がした。ちらと見ると、着信があったことを示すランプが点いているようにも見える。すでにコールは終わっている。その時、コンという小気味よい音を立ててフロントガラスに何かが衝突する。一瞬、身体が音に反応し、思わず君はのけぞる。フロントグラスの隅に、衝突した昆虫が残した緑や白の染みが生じている。歪な放射状に広がった飛沫、付着した羽の一部分と思われる残留物。

考えはいつまでもまとまらない。入り組んだ路地に入ってゆき、何度も仕切り直す内に堂々巡りとなった思考は、やがて時間的な断絶や、押し寄せるイメージの津波や、あらぬ方角から不意打ちで訪れる電気ショックによって、別の思考にすり替えられる。君は不思議に思っている。この複雑さは何のためなのだろう。自分の身に起こったあれこれ、自分が通り過ぎることになった時空間。今この時、この瞬間でさえそうだ。いったい私は何をしているのだろう。ハンドルなど握り、アクセルを踏んだり、クラッチを繋いだり離したりしながら、いったい私はどこへ向かっているのだろう。今、この時、途切れ途切れの音楽と共にある私とは誰なのか。自分と他人を隔てているものは何なのか。いかにも当然というような感じで、世に起こる事象Aと事象Bのつながりは複雑で、もつれ合っているのはなぜか。台詞には始まりも終わりもなく、くどくどと続き、主体はいつしか消え、言葉だけがどこかへ逃れゆくのはどうしてか。こんな調子では、どこからどうたどっても、途中でわからなくなるだろう。これから起こることには、どれも理由もなく、これまで起きたことについても、それは何なんだと言われても、それらしい言い訳すら見つけられないだろう。人生などと考えたところで、その時々の気分で、ささやかな幸福とささやかな不幸が連続するだけ。感情には起伏があり、大きく波打ったかと思うと、それが次第に弱まり、やがて穏やかにたゆたい、漣だち、消滅する。陽が当たり、木の陰になり、やがて打ち沈んだようになる。ただの思考の流れ、どうということのない小さな出来事、特別ではないよくある光景、押し寄せてくる窒素と酸素、目がくらむような強烈な光線、木漏れ日の中を通り過ぎる通行人のような人生。考えてみると、どれも不思議なことだった。

それでも君は高速道路を走り、どこかへ向かおうとしている。どこかへ向かおうという君の行動は、まったく前後の脈絡がないわけではないだろうが、ちゃんと説明がつくことでもないはずだ。いや、説明してみようか。そう考え、頭の中で口ごもる。いずれにせよ、君は時間の移り変わりとともに、変化し、入れ替わり、堆積しながら、それでも人の姿をして、生きているのであり、今朝はベッドの上で天井を見つけだして目覚め、いまは運転席にすっぽりと収まり、ハンドルを握り、右や左に寄りすぎないように調整しながら、車を運転しているのだった。あの時、どうだったかは、もはやわからない。紐をたぐり寄せるようにして過去の自分を引き揚げるべきではない。墓を掘って死人を掘り出すわけにもいかない。そして、そのときには知り得なかった未来の出来事が、次から次から現実に起こっているのだった。助手席に置いてある携帯電話に、誰かからの電話が着信する。そこに、昆虫が飛んできて、フロントガラスに衝突し、絶命する。こう考える。ほとんど理由もなく、偶然、君はハンドルを握っているのであり、移動は車の特性によるもので、昆虫の飛来はこの辺り一帯での昆虫の棲息の密度によるものだ。

君の車は想像の中で林道を外れ、草が生えて消えかかっている轍を頼りに細い道を進み、日の射さない森の奥へと侵入する。道悪を低速でゆき、やがて森の外れを思わせる人気のない沼地までやってきて、ブレーキを踏み、車を停める。コートは要らない気がする。多分毎度お馴染みの着古しの灰色セーターだけでちょうどいい。あとはそれぞれ世代交代させてきたジーンズにコットンの靴下とキャンパス地のスニーカー。世界は秋であり、森の奥で、見上げると高いところに宇宙の一部のような空がある。こんな山奥で地図を見る気になれない。きっと、後部座席に乗っている全国地図のスケールでは、ここは道なき場所であるに違いない。奇妙な縞模様で表現された等高線の間のどこかでしかない。世界から隔絶されているように思えるこの場所もまた、宇宙の一部なのだろうか。想像の中で、内蔵カーステレオは、挿入したカセットがデッキ内部でロックされ、それを無理に引き出そうとして壊してしまったので、もうずいぶん前から使用されていない。車内はエンジンを切るとしんとしている。車を降りる。見上げると森に穿たれた穴のような空間に見える空。曇り空。灰色の光。沼は、どう形成されたのかわからないが、かなり大きい。周囲には羊歯の一種と思われる植物、毒のありそうなピンク色の小さな花をつけた植物がはえている。湿った土、腐った葦、水辺にはショウジョウバエのような小さな虫が群を作っており、君の周りには無数の蚊が飛び回っている。オールの取り外された手漕ぎボートが繋留された小さな桟橋。君はその桟橋までやってくる。そこに、ボートに繋がっていない一本のロープがあることに気づく。桟橋を恐る恐る突端まで歩いてゆき、その先が沼の中に続いているロープを手に取る。軽く引っぱってみる。するすると水から抜けるような感覚だったが、暫くすると手応えが出てくる。水苔のついたロープはどこまであるのか。ロープの先に何かが繋がっているのか。君は興味をそそられ、さらに手ずからロープをたぐってゆく。やがて緑色の水の中に白っぽい影が見えてくる。それが人の形をしていることに気づくのにそれほど時間は掛からない。ある瞬間からロープをつかんだ手に力を掛けなくても白い人影はひとりでに浮かんでくる。きっと白い影は死体であるはずだが、それほど損傷していないようだ。ただ肌の色は水の色と同じく緑色をしている。ロープをゆすったり強く引いたりして身体を反転させ、表を向かせる。緑色の顔。つまらなそうな表情のまま目を閉じている。僕は眉をひそめる。それは過去の自分だった。今よりも若く、少し痩せている。緑色に変色した顔、造形物然とした耳や鼻。ロープを握ったまま桟橋にひざまづき、濡れた髪をかきわけ、そっと額に手を当ててみる。君は死んでいる君自身に触れ、やっと自分という人間に出会ったような、不思議な感覚に陥る。

額に当てた手を離すことが出来ない。このまま手を当てていれば、何かが理解できそうな予感がするのだった。そして、ふと、郷愁に襲われる。君はこう思う。今、自分は何かをきっかけにしてやすやすと時空を越えてしまい、消滅した時間の中へ入り込んでしまったのだ。そして、遠い昔の日に生きていた君自身に、まさか沼に沈んでいるとは思わなかったが、結果的にはこうして、はるばる会いに来たのだ。まるで消滅した時間がそこにあることが前提であるかのように、考えることができる。そして、さらにこう思う。今私は自分を通り抜けていった自分自身に再会しているだけなのだ。確かに、人間とはそんなものだと、君は想像の中で納得する。毎日のように死滅してゆく細胞や意識の層の断面が、今、緑色の沼の水面で、人の形をしてぷかぷかと浮いていたとしても、不思議なことではない。

君はたぐり寄せた紐を強く引き、いまや水面でゆらりとたゆたっている過去の君自身の人体を引き揚げようと企てる。君は秘密が知りたいと思う。何でもいいから、君の知らない偉大な真実を。きっと水に浸かった身体はひどく重いだろうが、ほとんど衝動に突き動かされるように、桟橋の脚に引いたロープをかがり、水面にわずかに出た肩を掴み、腋の間に手を入れ、渾身の力を込めて身体を持ち上げようとした、その瞬間、腐りかかった板を踏んでいた足が滑り、あわててバランスをとろうとするもあえなく、君は沼に落ちてしまう。しまったと思うと同時に、君の身体は水に浸かり、みるみる着古しの灰色セーターの繊維に沼の緑色の水が染み込み、体全体がぬめった膜で覆われてゆくような感触を味わう。混乱しながらも、桟橋へ戻ろうと、腕は水を必死に掻いている。しかし思うように浮かんでいることができず、ましてや前に進むことなどできないのだった。人間とはそんなものだ、と君は思う。視界には君が足を滑らせた桟橋が見え、なんと君が引き揚げようとしていた過去の自分が自ら手足を板に掛け、胴体を転がすようにして桟橋に上がっているところだった。君の頭の中で、諦めと、後悔とが混じりあう。ずぶ濡れの過去の自分が、桟橋の上で立ち上がり、振り返り、君を悲しい目で見下ろす。そしてくるりと背を向け、車の停めてあるところまでゆっくりと歩いてゆく。おもむろに運転席のドアを開け、車に乗り込む。エンジンが掛かると、車はゆっくりと動きだし、Uターンをして、行きに使った道を戻り、水面から顔を出している君の視界からあっという間に消えて行く。君の頭の上では小さな羽虫がぶんぶんうなっている。見上げるといつしか低い雲が流れている。雨粒が君の額を穿ち、水面には次々と波紋が生まれる。

視界の奥へ向かってゆるやかに伸びる大きなカーブが、薄い茶色をした合皮で覆われた運転席のシートに収まっている君の身体を、ゆっくりと外周側へ引っ張っている。世界はゆっくりと回転しているのだろうか。それとも超高速回転しているのだろうか。いずれにせよ、この巨大な球体の世界から振り落とされないように、君は軽く抵抗している。外周のさらに外には郊外のイメージを醸した町が広がっている。田園があり、工場があり、商業施設とおぼしき看板群が見え、その一帯に道路が巡らされている。目の前に広がる世界を、起伏こそあるが、概ね平面としている大地には、複雑な事象に満ちた世界がしがみついているのだ。地上から遠く離れたところに浮遊している壊れた人工衛星や、宇宙の塵芥や、無名の惑星たちを引き寄せもする地球の重力が、地球の大きさからすれば砂の粒のような君を、世界の中に留まらせている。いっそ、今通り過ぎようとしている大きなカーブから振り落とされてしまえばいいのだろうか。君はハンドルを握る力を弱めてみる。車体は不安定にぐらつく。反射的にハンドルを強く握り直す。

複雑さのすべてを放擲するのは、どんな気分だろうと、君は考える。フロントガラスごしに空を見る。超高速回転している世界は、今や止まっているよう見える。きっとこうだ。君は複雑さを投げ出すべく、部屋の片隅に横たわる。思考回路のあちこちのゲートを塞ぐこと。色々な機器の電源を切ること。電話に出ることをやめること。何日も外へ出ないこと。全ての言葉を捨てること。全ての追憶を放棄すること。権利などと主張することをやめること。食物の摂取をやめること。時間の感覚をにぶらせ、昼夜を逆転させること。テレビを消すこと。リモコンの電池を抜くこと。悪魔も天使も追い払うこと。壁に頭を打ちつけ、椅子の脚にかじりつくこと。窓を割ること。その際に切った手から流れ出る鮮血を、顔に塗りつけること。夜がやってくるのを見つめること。夜のコバルト色の空、灰色の雲、月明かり、息を飲むほどの美しさ、死を想うこと。

耳がミュージックプレーヤーの音楽に戻り、手は中古車のハンドルを握り直す。ボリュームを上げてみる。繰り返しのフレーズが作り出す陶酔感。音の強度がねじまげてしまう意識。突然、目前にある道路との距離感がわかりにくくなる。点線となっている斜線はうねるように伸びている。それは線虫のように思える。それはぐにゃぐにゃしたロープでもあり、迫り来る宇宙船団でもある。車のかすかな振動が作り出す錯覚。岩場に捨てられたザイル。大きくたわんだ送電線。恐竜の脊椎。君は瞬きする。しかし、奇妙な感覚は去らない。カーブに次ぐカーブ。アクセルを加減し、少し速度を落とす。ゆるやかな遠心力に身を委ねながら、君は関節や、膜を忘れ、顆粒状の物質となって世界に放出される。自分が自分を束ねているという感覚と、それがみるみる解かれてゆくという感覚とを、同じ瞬間に味わう。安易に手に馴染んだ道徳も、顔見知りとなった秩序も、粒子となって自分の身体の外に出た途端、遠い世界のできごとのようにおもえてくる。君は宇宙に放り出される。宇宙から地球を眺める。すでに滅び、久しく人の寄りつかない王国の廃墟を見るようだ。堆積していた時間は、ぺらぺらの紙のようになって浮遊している。逆らいがたい大きなエネルギーの流れ、高すぎる天井で覆われた空間の中にいる。いままで自分を貫いていると思っていた音楽は、おおきく歪み、鼓膜の中で膨張している。洞穴の中で発狂した探検家の意味不明な叫び声のようだ。探検家は百年前に死んでいる。叫び声だけが無限に増幅され、反響し、洞窟の中に残り続けている。洞穴で叫び声をあげることはしかし、とても本質的な行為のように思える。だが、声もまた均質に拡散し、濁ったような赤い色に変換され、遠い未来のどこかで、誰にも知られずにふと消失してしまうに違いない。君は眠くなったのだろうか。もうこの世にいないのか。車を運転しているという自分はどこかへ向かっているのだろうか。自分に問いかける。バックミラーで後続車を確認する。左ウインカー。分岐した道に沿ってサービスエリアへ。

空いた小規模のサービスエリア。巨大なトイレで用を足し、食堂や土産物売場の入っている建物の中をぶらぶらとうろつき、自動販売機でペットボトル入りのガス入りミネラルウォーターを買って、車に戻る。ボトルのキャップをねじって開け、ボトルを傾け、舌を刺激する微量の炭酸を味わう。助手席の携帯電話に手を伸ばす。留守番電話。音声ガイドに従ってメッセージを再生。残されていたメッセージは、ほんの数秒ほど。君はメッセージを消去せず、ただ電話を切る。シンプルすぎるお祝いの言葉。君は液晶表示の上の日付を確認する。そう、今日は君の誕生日なのだった。シートベルトをする。エンジンを掛ければ、ふたたび出発しなければならない。君は考えてみる。しかし、どこへ。君はため息をつく。わかりきったことだった。その通り。どこへでも。排気量が許す限りの速度と、精製された石油が尽きるまでの時間が、この世界のどこかへ、君を連れて行ってくれるだろう。


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