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moyai
for nero

冬の午後。部屋の電話が鳴る。僕はすぐに出る。

懐かしい声だと電話の相手は言う。十年ぶりじゃないかな。確かにそう言われると、僕も懐かしい気がしてくる。まさかまだこの電話が生きているとはね、と相手は言う。確かにその通り。この電話機は長生きをし過ぎてしまった気がする。買ってから十年以上経つだろうか。いやもっとかも知れない。買い替える理由もないのでそのまま使いつづけている。たぶん相手は電話番号のことを言っているのだろう。確かに電話番号はもっと長生きだ。二十年以上、同じ番号なのだから。同じ地区内で二度ほど引越しをしたが、電話番号は同じのままだ。どうしてる?元気かい?と相手は続ける。ああ、まあ、元気だよ。僕は応える。先週まですこし風邪を引いていたが、もう治った。今は元気だ。そっちはどう?と聞いてみればよかったかもしれない。だが僕は黙っていた。いずれ相手が話し出すような気がしたし、少々とまどっていたからだ。それぐらい唐突な電話だった。携帯電話を持って以来、ほとんどの電話は携帯電話にかかってくるようになっていた。仕事の電話も仕事以外の電話も。この部屋の電話はもうほとんど鳴らなかった。時おり、母親が忘れたころに電話を掛けてきた。母親は携帯電話の番号を教えても、こちらに掛けてくる。

いやあ、本当に懐かしい声だ、と相手は繰り返した。僕の声はそれほどありがたい声ではないと思っている。仕事で掛ける電話では、相手は電話の主が僕だとわかるとなんだか損をしたような口ぶりになる時があるくらいだ。しかしその声を覚えている人間がいて、十年以上も前の声と聞き比べて、懐かしいと言っている。ずいぶん時間がかかったけど、やっとこちらに戻ったんだ。といっても数日だけど。相手は言った。電話じゃ面倒だな。どう。今から出てこないか。唐突な電話に加え、突然の呼び出しだ。ただ、僕は暇を持て余していた。ああ、構わないけど。じゃあ決まりだ。もう出るよ。いつもの場所でいいよね。善は急げだ。じゃあ。電話は切れた。

僕は古びた電話機を眺めた。この電話機がこの電話を呼び込んだような気もしてきた。夜の森で樹が語りかけてくることがあるんだから、冬の午後に退屈している三十代の男に電話をつなぐことぐらいあってもいいかも知れない。ただ問題があった。僕は今の電話の相手に心当たりがないのだ。そして電話の相手が言っていた「いつもの場所」がどこなのか、想像もつかなかった。それでも僕は出掛ける準備をした。厚手のセーター姿だった僕はそのまま地下鉄構内のワゴンセールで買ったトリコロールカラーのマフラーを巻き、長年の着用でよれよれのダッフルコートを着て、汚れたスニーカーを履いた。右ポケットには小銭、左ポケットには家の鍵とハンカチ。財布と携帯電話はダッフルコートの大きなポケットに詰め込んだ。空は晴れていた。仲の悪くなったビートルズが歌う歌のように悲しく切ない青空。

電車を乗り継いで一時間、蒲田駅のモヤイ像の前まで来た。携帯電話を出して小さな液晶パネルを見た。突然部屋の電話に掛けてきた位だから、突然携帯電話に掛けてくることだってあるかも知れないと思ったからだ。僕は昔のことを思い出していた。これまで誰かといつもの場所で、と言って待ち合わせたことなんてあっただろうか。あったかも知れないが、それはその時々で違う場所だったはずだ。そしてその場所をなかなか思い出せずにいた。モヤイ像の前で待ち合わせたこともあったかも知れない。僕はしばらく待ってみた。

すると僕を呼びとめる声。どうしたんだい?こんなところで?僕は振り返る。それは高校時代のマイコン同好会の会長だったノイマンだった。僕は同好会に入ってはいなかったが、彼とはなぜか友達だった。時おり学校帰りに秋葉原につき合ったものである。まさか今でもノイマンと呼ばれているんじゃないだろうね。僕は彼に言った。彼は感激を爆発させたような笑顔でまさかと言ってオーバーにのけぞった。ところでこんなところで何をしてるの?待ち合わせ?

ノイマンと僕はしばらく立ち話をして別れた。携帯電話の番号を交換もした。彼は今、品川にある会社に勤めていて、今日はこれから出勤とのことだった。僕の方は、そう、待ち合わせのつもりだった。ノイマンと別れてさらに数十分待ってみた。これがどれだけ意味のないことか、身を持って実感したが、それほど苦ではなかった。どうせ暇だったんだ。僕は数ヶ月前から何もしていなかった。失業中で、半分途方に暮れていた。残りの半分でこの世界にとどまっていた。蒲田の空は翳りのある青。上空の方は悲しいくらい透き通っていた。

***

あれから二年ほど経過した。普段ほとんどあの奇妙な電話のことを気に掛けることはなかった。わざわざ誰かに話すようなこともしなかった。古い電話機はまだ使いつづけている。以前と同じように、母親から時おり掛かってくる以外に電話は鳴ることがなかった。特殊なユーモアセンスを持った人間からのいたずら電話だったのだろうか。知らない人間から掛かってきた電話におろおろするのをおもしろがっていたのだろうか。少なくとも僕はおろおろしたりしなかった。当時僕は失業中で、疲労しきっていて、日常のものごとに対する感覚がにぶっていた。夜になると感覚はふいにとぎすまされ、孤独な人間の輪郭をカッターナイフでふちどっていった。あれから僕は都内の会社で働き始め、数ヶ月におよぶ失業時代を抜け出すことになった。しかし、半分途方に暮れ、半分世界に留まるという感覚は残ったままだった。ある時、ゆるやかに悲しくなり、そのことが滑稽に思えたりした。

つい先日、渋谷のモヤイ像の前を通り過ぎたとき、僕はふたたび声を掛けられた。ノイマンではなかった。背後から、ほとんど聞き取れないような音量だったにもかかわらず、僕の耳にだけはっきりと聞こえてきた。ようやく来たんだね。待たせるなあ。声は二年前の電話の相手のものだった。僕はぎょっとして振り返えった。そこには誰もいなかった。いや正確にはたくさんの人がいた。だが誰が声を掛けたのかわからなかった。僕はその場でくるくると前を向いては振り返り、声の主を探した。

街を歩き回って、いろいろ考えた。渋谷のモヤイの前でささやいたのは、誰でもない誰か。空耳のようなものだったんじゃないか。モヤイがしゃべったとでも言うのだろうか。モヤイはもっと低音で地響きそのもののような声なんじゃないだろうか。その日、何度も渋谷のモヤイ像の前を通り過ぎてみたが、二度と声を掛けられることはなかった。

翌日、台湾製の携帯電話がテーブルの上で振動した。ノイマンだった。テレビつけてみろよ。僕のテレビは数年前に壊れて以来、電源プラグを抜いていた。もちろん電源を入れてもテレビはつかないだろう。当時何度も試したから間違いないはず。しかし電源を入れてみると、映像が出てきた。生中継映像が流れていた。そこにはヘリコプターで上空から捉えたモヤイ像付近の映像があった。よく事情が飲み込めなかった。殺人事件か何か?爆発事故?顔写真が出ていた。ネロだよ。あいつだ。ノイマンが言った。ネロはマイコン同好会に再三見学を申し込んでおきながら、結局入会せず、その年の夏休み以降学校にさえ顔を出さなくなったあいつだった。噂では自殺したんだとか、退学になったんだとか、適当な噂をたてられていたが、実際にはせいぜい転校程度のことだったような気がする。思い出せなかった。テレビは繰り返し現場の中継映像を流し、その映像は何度もネロの顔写真に切り替わった。中継映像をよく見てみると、モヤイ像が完全になくなっていることに気がついた。テロップにはモヤイ像盗難か!?と出ていた。あのモヤイ像が盗まれたのだろうか。それをネロがやったというのだろうか。

連日、モヤイ像盗難事件はニュースやワイドショーで話題を独占した。ネロの写真は何度も使われた。全国でネロを知らないものはいないと言える程、過剰に露出してはいたが、肝心の実物の本人を誰も見つけられなかった。鎌田のモヤイ像の前で見かけた、という目撃情報や、新島の船着場でギターを弾いているあの人ではないか、とか、イースター島に旅行に行ったときのガイドによく似ている、といったもっともらしい情報もあった。だがその人物は僕らの知っているネロではなかった。モヤイ像を運び出す際に通行人が撮影した目の粗い映像が繰り返し使われ、専門家によって分析された。盗難の手法はおどろくほどオーソドックスで、クレーン付きのトラックでチェーンを掛けたモヤイ像を引っ張りあげて、荷台に載せ、走り去っていた。その大胆さ、手際のよさ、あっけにとられる程の冷静さ、あっぱれとしかいいようがなかった。当初、モヤイ像をあの程度のクレーン車で引き上げることは無理だとさかんに言われていたが、運び出しの映像を見ると、モヤイの中が完全に空洞になっている、と専門家が指摘してからは、なぜモヤイ像の中が空洞だったのか、というところに論点が移り変わっていった。もちろんなぜモヤイ像を持ち去ったのか、という謎についても方々で意見が飛び交った。

***

隠れていたんだ。ネロは言った。事件から数ヶ月経っていた。夏の午後だ。電話が掛かってきた。僕はてっきり警察から身を隠していることを言っているのだと思った。そうではなかった。モヤイの中が空洞だったので、自分でこっそり出入口を作って、人目に付かないように中に入って、そこに隠れていたんだ。なかなか楽しい体験だったよ。夜通し隠れていたこともある。冬場は毛布とカイロを持って入るんだ。一種のかまくらだよね。ネロは電話の向こうで笑っていた。今どこにいるんだい。僕は聞いた。ネロは答えなかった。なぜモヤイ像を盗んだりしたんだ、などと野暮なことは聞かなかった。人にはそれぞれ事情があるものだ。窓の外は真夏の陽射しを受けて全てが明るかった。二年ほど前に掛かってきた奇妙な電話もネロだったのだ。聞きはしなかった。電話口で声を聞けば、いわずもがなだった。世間では蒲田のモヤイ像が次のターゲットではないかと、専らの話題だった。地域では防犯見回りをはじめた、というニュースも聞いた。元気でなによりだよ。ネロは言った。君こそね。僕は言った。この電話もモヤイの中から掛けてるんだぜ。目に小さな穴を開けたから、レンズ効果でモヤイの中に外の風景が反転して写るんだ。これはとても美しいんだ。君にも見せてあげたいな。

それから、ふたたびネロとは連絡が途切れた。夏が終わり、秋がやってきた。

そして冬、十二月。年の暮れ。僕は部屋の隅で毛布をかぶり、スコッチを飲みながら、テレビを見ていた。テレビは年の瀬の街の様子を中継していた。屋台のようなところで正月用の飾りや食材が売られ、そこに着膨れした客たちが溢れかえっていた。テレビはあの事件をきっかけに直ってしまった。それ以来、テレビをつけるようになった。テレビではもうモヤイ像盗難事件のニュースはやっていなかった。しかし年末恒例の今年の十大ニュースにはランクインした。僕はなんとなく誇らしい気持ちになった。先日ノイマンから電話があった。品川の会社を辞めたとのこと。ネロの事件とは無関係だと言っていたが、生き方を修正するひとつのきっかけにはなった、と言っていた。生き方。一体何がどうきっかけを作ったのだろうか。部屋の電話が鳴った。母親だった。明日、電車で帰省する。混んでるから気を付けないと、と母親は言った。ああ、大丈夫。電車に乗る前にでも電話をするから。


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